資産運用は必要か?私が投資を始めた理由と得られた教訓

皆さんは投資をされていますか?

私はもともと大学で経済系の学部に所属していたので関心はありましたが、投資はある程度の資産がないとできないという先入観があり、中々その一歩を踏み出せずにダラダラと月日が流れてしまいました。
そんな私が投資を始めた理由と2年弱の投資生活で得られた教訓をご紹介していきます。

 

長くなるので、教訓だけを先にまとめておきました。
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  • リスクを取らないリスクに気づけた
  • お金や社会構造に関心が持てた
  • リスク資産を持つ精神的耐性が得られた
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マイホーム購入で将来に不安

投資を始める少し前、当時私はマイホームを購入したところで、頭金や住宅ローンの諸経費、リフォーム代などで、ある程度貯まっていた貯金が大きく減ってしまっていました。

マイホーム購入前は、銀行口座にある程度のお金があったため、その安心感で資産運用の必要性は認識しつつも手が出せずにいました。

しかし、急激に減った貯金残高、一向に減らないローン残高を見て「このままで大丈夫か?」と焦り始めたのが最初のきかっけです。

 

投資を決心した上司の一言

そんなある日、上司との何気ない雑談の中でこんなやりとりがありました。

私 :「そういえば、今度引っ越すことになりました。」
上司:「そうなんだ。賃貸かい?」
私 :「いえ、一戸建てを購入しました。もちろんローンでですが。」
上司:「そうか、じゃあお前ももう逃げられないな。頑張れよ!」

上司は冗談のつもりだったのかもしれませんが、私には“住宅ローンを人質に働かさせる”というネガティブな未来が浮かんでいました。
もちろん実際はそんなことはないのかもしれませんが、日本での住宅ローンは完全なる負債だと思っていましたので、その重荷はこうも精神を束縛するものかと痛感したことを覚えています。

そんな暗闇の中で一縷の望みを託したのが、投資だったという訳です。
会社とは違う収入源を作ること、これによって会社に束縛されない、あわよくば経済的に自立したいという決意のもと投資を始めました。

 

投資のつもりが投機になってしまう

投資を始めた当初は、会社とは別の収入源を作ること、経済的自立を果たすことに躍起になり、短期的に収益を出すにはどうすればよいか、テンバガーになる株はどういうものか、そんなことばかり考えていました。こういった投資方法は、“投機的”と呼ばれます。

言葉遊びのように思われるかもしれませんが、投資の世界で“投資”と“投機”は根本的に異なる意味を持っています。

私が学生のころ、某証券会社の方が寄付講座で講演される機会がありました。そして、投資の重要性について述べられたあと、当時その証券会社が流されていたCMを見せられました。

CMでは、定年退職された老齢の男性が勤めていた会社の株式を購入し、一生懸命働く若手の社員を遠目で見ながらこうつぶやいていました「頑張れよ、後輩諸君。」、と。これが投資なんだ!と力説されたのを今でも覚えています。

投資の勉強で読んだ本では投資は“価値”にお金を投じること、投機は“確率”にお金を投じることと表現されていましたが、当時の私はまさに確率のゲームに興じていたといえるでしょう。これではただのギャンブルと同じです。

 

日々の値動きに翻弄される毎日と消耗する時間

短期的な収益を考えていた当時は、購入した株の値動きに一喜一憂する毎日でした。
昼休みの度に株価や為替をチェックしたり、アメリカで重要な指標が発表される日は夜中まで起きていたりと、生活リズムがずいぶんと狂っていました。

しかし、かといってそれに対して適切に対応していたかというとそんなことはありません。不安なのでチェックはするものの、何をしてよいかわからず、ただ指を加えながら見ていただけでした。

投資の世界で有名人といえばウォーレン・バフェットの名が挙がることが多いですが、彼の名言の一つに「近視眼的な投資では理性を失い、結果としてお金と時間を失う」というものがあります。

お金を失いたくないあまり、時間を失っていた、そしてお金も目減りしていった…それが当時の私の投資状況でした。

 

平均は超えられるという根拠なき自信と挫折

投資を始めたころは、指数連動型のETFなどの購入は眼中にありませんでした。
これは、平均的なパフォーマンスを出していては、到底経済的自立を成し遂げられない、という思いと、ある程度勉強すれば平均以上の成果は出せるんではないかという根拠なき自信からでした。

中流家庭にある皆さんは、これまで学校、職場での成績は平均以上でしたか?以下でしたか?
恐らく現代日本において中流の位置をキープされている方は、ある程度の水準があった・ある方ではないかと推察いたします。
この“自分はできる”という感覚は、ポジティブに作用することも多い反面、判断を誤らせるネガティブな要素として作用することもあります。

市場というのは、世界中の金融のプロたちがその叡智をぶつけ合う真剣勝負の場です。そこに大した知識を持つことなく、自分ならできるんじゃないか、という根拠なき自信で乗り込んだ結果が、市場の平均から大きく劣る投資パフォーマンスだった訳です。

もちろん、センスのある方、投資成果を上げるための知識と経験を習得する時間と覚悟のある方はこの限りではないと思います。

しかし、私にはセンスもなく、時間も費やすことができませんでした。
それは、私にとって関心があったのは、投資という手段ではなくお金を増やしたいという結果だったからです。

何とも虫のいい話ですね…笑

 

投資によって得られた教訓

ただし、投資によって得られた経験は大変に大きいものがありました。

第一に、リスクをとらないリスクに気づくことができたということです。
これが最も大きいと思います。

リスクとは、投資をやらない人々にとっては“危険度”というネガティブな印象しかないと思いますが、投資の世界では“結果の振れ幅”を意味します。簡単に言えば、ハイリスクなものはハイリターン、ローリスクなものはローリターンが原則ということです。裏を返せば、リスクをとらなければ、リターンもあり得ないということです。

ただし、投資の世界ではリスクとリターンが見合っていないもの、正確に言えばリスクに対して相応のリターンが期待できない金融商品が多数存在します。これを見分けることが最低限必要で、投資の知識をつける必要性はここにあります。

そして経済的に縮小していく日本において、円という金融資産だけを持ち続けることはそれ自体がリスクであること、それに対するリターンがほとんど見込めないことを考慮すると、極めて不利な金融商品だけに将来を依存していると考えるべきです。

第二に、お金や社会の構造について関心が持てたことです。

お金というものは、お金のある人のところに集まってきます。これは、日本が資本主義(これについては色々と意見がある人もいるようですが…)だからです。

そんな日本で、資本に使われる被用者で終わるのか、資本を出す側となって使用者の立場をとるのか、では、後者の方がリターンが大きいことは容易に想像できます。使用者になるのは、何も会社を起こさなければできないわけではありません。その手段の一つが投資であり、この選択肢は全ての人に常に開かれています。

また、投資を行うことは、その企業のオーナーとなり、全てのリスクを引き受けて応援するということです。自分の大事な資産を委ねるわけですから、その企業の施策や商品、ライバル企業・業界や社会の動向について自ずと関心が高まります。こうしたことは、日々のニュースや政府の政策に対する関心にもつながり、それら知識は長い目で見れば本職の仕事にも還元されることがあると思っています。

そして最後に、少ない金額でも投資を始めることはリスク資産を持つ精神的な耐性を高めることができる、という点です。

昨今流行りの仮想通貨に関して、ほとんど投資経験がない人が莫大な評価益を経験し、毎日数千万の値動きに耐えられず鬱になってしまった、というニュース記事も見たことがあります。

私も、投資を始めた当初は、数万円の評価損で眠れなくなるほど悩んでいましたが、今では数十万の評価損が発生してもあまり気にならなくなってきました。投資とはリスク資産を保有することですから、常勝はほぼあり得ません。よほど運がよくない限り、必ず評価損を抱えることがあると思います。

その時、理性を持って平常心を保てるのか、投資経験の積み重ねででしか訓練できないのではないでしょうか。
だから私は、こつこつと資産運用を続けでこの耐性を高め続けていきたいと思います。

以上が私が投資を始めた理由と得られた教訓でした。
次回は、そこから私がロボアドバイザーを選んだ理由について書いてみるつもりです。

 

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