気になるニュース:大学無償化(減額)が年収380万円未満世帯へ

昨日の産経新聞のニュースによると、政府の人生100年時代構想会議は大学無償化について住民税非課税世帯(年収270万未満)を対象とし、それに準ずる世帯(270万~380万)も段階的に支援する方針を固めたとのことです。
大学無償化は年収380万円未満 政府会議が方針 Yahoo!ニュースへのリンク)

今回はこれについて考えてみます。

 

 

私立大学にとっては天与の恵みと成り得るか?

昨今の大学業界では“2018年問題”というものが話題になっています。
これは、世間一般では雇止めの問題として認識されていますが、大学業界では18歳人口の急減期に差し掛かるタイミングということで、特に競争の激しい私立大学では、かなりの危機感を持っています。

2018年からわずか5年で117万人から106万人へと、実に11万人もの18歳人口が減少することが推計されており、進学率が今の6割弱のまま推移するとすれば、6万6千人もの受験生が減少することになります。
これは、定員500名規模の大学120校以上に相当しますので、多くの大学で定員割れが発生することが危惧されています。

 

先行き暗い大学業界ですが、今回の無償化はこの減少分をカバーする可能性があります。
人生100年時代構想会議の資料のうち、日本労働組合総連合会が提出した資料によると、今回対象となる住民税非課税世帯等の高校生数は約16万人であり、授業料が免除されれば、そのうち約6万人が新たに大学等へ進学することになる、とのことです。

住民税非課税世帯に準ずる世帯も減額された上で対象となるようですから、単純計算で人口の減少分よりも、進学率上昇によって増える受験生が増加するため、2018年問題を無かったことにしてしまうインパクトがあります。

 

ただ、ある意味公的資金の注入のようなものですから、世間は否定的です。
もともとこの2018年問題などによって大学淘汰が起こり、良質な大学だけが残ればいいという風潮がありますからね。

更に、こうした制度が実現すると槍玉にあがるのが教職員給与でしょう。
今まで私立大学は国からの補助があるとは言え、その割合は10%に満たない金額で、ほとんどは自助努力でやっていたという建前があります。
(実質は日本学生支援機構によって半分くらいの収入は税金で賄われているのですが、そこは今回触れません)
税金が投入されるとなると、世間に比べて高いと言われる教職員給与にメスが入ることもやむを得ないかもしれません

[blogcard url=”https://tyuryupapa.com/administrator/annual%E2%80%90income1/”]

 

また、2018年問題をこなしても、その後“2024年問題”と呼ばれる更なる18歳人口の急減が予想されています。
これも6年間で10万人もの人口減少が見込まれているため、熾烈な競争に勝つための努力は必要不可欠な状況です。

今回の政策で一時の猶予は得られるかもしれませんが、大学業界の先行きが厳しいものであることに違いはありません。

 

低所得世帯は弱者なのか?

今回の所得を基準にする方針については、否定的な意見が目立つような気がします。
それは、低所得者を絶対的な弱者と決めつけて、無条件で守られるべき存在であるかのように扱っていることが理由の一つだと思います。

 

私は塩野七生さんの「ローマ人の物語」が好きですが、その中でアテネについて取り上げられた際に紹介されたペリクレスの演説は今でも印象に残っています。

今回主張したい部分だけ引用すると、

アテネでは、貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは、恥とされる。

(出所:塩野七生『ローマ人の物語2 ローマは一日にして成らず[下]』)

ここにすべてが詰まっています。

 

私は過去、奨学金に関わる業務を担当したことがあり、多くの経済的に困窮した学生と向き合ってきました。
経済的に恵まれない家庭環境にありながらも、自助努力によって立派に学業に励む学生がいる一方で、こうした支援を“当たり前なもの”として、むしろ権利のように認識している学生も少なからず見受けられました。

こうした制度が行き過ぎると、「君たちは恵まれないから助けてあげるよ」と言われ続けた彼らは、自らを保護される存在と認識してしまい、そこから脱出する気力と機会を奪っているのではないかと懸念しています。

 

行政の仕事が富の再分配にあることは認めますが、行き過ぎた分配は向上心と意欲を減退させます。
今回の方針でもこれを考慮してか一定の成績基準を設けるようですが、そうであれば最初から所得ではなく成績基準によって選出することもできたのではないかと思います。

もちろん、所得が高いほど学力が高いというデータがあり、低所得者から高所得者への富の逆分配が起きる可能性があるので難しいところですが、学業に励む学生に税金を使うことには賛成でも、意欲のない学生がモラトリアムを過ごすのに税金を使うことは反対する人は多いはずです。

 

奨学金業務を行っていたときは、上司から「可哀想だとか、自分が助けてあげたいとか思ってはいけない」と言われていました。感情的にならず、あくまで公平な観点から接する必要がある、という教えです。

行政はどうしても、一部の“弱者”にスポットライトを当て、彼らを救済することで全体の調和に歪みを生じさせているケースが多い気がします。“弱者”を助けることは気分がいいかもしれませんが、こうした“救世主症候群”に陥って、自己満足していてはいけないと思います。

 

中間層への支援は見えない状況。ますます厳しくなる中流世帯

政府の報告書原案では、中間所得者層への支援に対しては以下のような文言にとどめています。

こうした低所得世帯に限定した支援措置、大学改革や教育研究の質の向上と併せて、中間所得層における大学等へのアクセスの機会均等について検討を継続する。

(出所:人生100年時代構想会議 人づくり革命 基本構想案)

 

こういった書き方ははっきり言って“ちゃんと網羅的に考えてますよアピール”のための文言であり、実際は何もしないことがほとんどです。
私立高等学校の無償化についても、年収590万未満が基準ということで、これを超えてしまう世帯では恩恵を受けられません。
東京や大阪のように地方自治体で特別に基準を設定していれば別ですが、全ての自治体に求めるのは難しそうです。

中間所得者層はこうした公助をほとんど受けられず、負担はいっぱしに求められるのがツライところですよね。
日本は大半の人(年収800万とかだったでしょうか)が支払った税金以上のサービスを受けているというニュースを見たことがありますが、本当なのか疑問が沸いてきますね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA