最近の小学校では黙食というものがあるらしい

先日、いつものように隙間時間にYahoo!ニュースをみていたら、近頃の小学校現場では食事時間中に私語を禁止する「黙食」というものがある、という記事がありました。多忙を極める小学校教員は、理不尽なルールについては疑問を感じつつも、日々の業務量に圧倒されて、それを是正する時間もないことも併せて記述されていたように思います。

私が小学校の頃を思い返しても、そういった経験があった記憶はありません。それよりも「好き嫌いはわがまま」の風潮のもと、嫌いなものを食べられない子がいつまでも残されていた風景がなんとなしに頭に残っています。今回は小学校教員を母にもち、現役の小学生の子をもつ身としてこれについて考えてみたいと思います。

 

親としては食事は楽しんでとってもらいたい

記事で紹介されていた小学校では、給食中の私語は一切禁じられており、子どもの「給食の時間が怖い」という発言を取り上げるなど、学校側に否定的な論調で話が進んでいました。

興味があったので小学校一年生の息子に実際にどうなのか尋ねてみたところ、給食時間の20分(短いですよね?)のうち、最初の10分は何も言われないが、残り10分になると「静かに食べようね~」とやんわりと私語を謹んで食べるよう指導されるとのことでした。

ただ、そこまで厳しく言われるわけではなく、何だかんだでひそひそ話ながら楽しく食事はしているようでした。また、食べきれない子はその後の昼休みなども食べ続けている状況とのことです。この辺は私の記憶がないだけで、同じように注意されていた可能性もありますし、私の時とそんなに変わらないのかなとも思います。

某牛丼チェーン店の食事(出されたものを無言で食べて、食べ終わったらすぐに帰るスタイル)について、自嘲気味にエサを食べているという表現を見たことがありませんか?

生命が生きるためには食事は不可欠なものですが、人間はそれをエネルギーの補給以上の文化として培ってきた歴史があります。単なる生命維持のための活動を、コミュニケーションの場として機能させている点に価値があると思いますし、それが人間らしさと言えると思います。親としては、小学校給食では、そういった価値観を育んで欲しいなという気持ちが正直あります。

 

小学校教員の立場からすると、給食の時間は戦争だ

とはいえ、小学校教員の立場からすると、そんな綺麗ごとを言ってられません。

親になれば痛感するのが、食事の世話ほど面倒な育児はないということです。まず、座らない。そして、食べ始めてもちょっとでも気になることがあれば遊びだす。嫌いなものがあれば、箸でつまんで外に放り出す。後片付けもままならない。

そんな一人でも大変な子どもを、先生はたった一人で、多くは40人から面倒を見ているわけです。小学校教員の親曰く「自主性に任せていたら終わらない」だそうです。これは多くの親が納得するでしょう。

ただ、冒頭あったような極端な指導はあまり聞いたことがないそうです。午後の授業に間に合わせるために、食事を急かす工夫は先生によって様々です。うちの母親は給食時間が少なくなったら、「もぐもぐタイム」を設けて、しゃべらずにいっぱい食べよう!と促すことで、できるだけ楽しみながら早く食事を済ませるようにしているそうです。この辺は、学校の方針というより、先生のスタイルに依存することが多いみたいですね。

確かに食事を楽しむことを教えることも大切ですが、時間を守るということも、同じくらい大切です。むしろ、一般的な社会生活を送る上では、後者の方が重要視されるでしょう。

ちなみに、小学校も高学年になると、自分で時間が分かるようになるのでそこまで指導することはなくなるそうです。低学年の一時的な矯正と思えば、そこまで批判することはないのかなとも思います。身内目線が入ってしまうかもしれませんが…。

 

この問題は小学校教員の働き方改革にもからんできそう

大学職員という立場上、文部科学省のご意向は結構耳に入ってくるのですが、ここ数年小学校教員のブラック度をなんとかしようという声が非常に強くなってきています。

思い返せば私の母親も、年度末には凄まじく大きなカバンを持ち帰っては夜な夜な通信簿をつけていた記憶がうっすらあります。そうでなくとも、日々のテストの採点などを家でしていたことは日常茶飯事でした。それだけ、持ち帰り仕事が多い仕事だったと言えます。

父も学校関係に勤めていましたが、平日の夕方と土日はクラブの顧問として指導にあたっており、手当はつかないのに学校に入り浸っていた印象があります。学校に勤める人というのは意識高い系が多いので、子どものため!という崇高な目標を与えられると、理不尽な労働環境を甘んじて受け入れる傾向がある気がします。

とはいえ、教育という仕事は、アドラー心理学の言葉を借りれば“仕事の関係”ではなく“交友の関係”を築ける数少ない職場の一つです。指導者と子どもとの関係は、お店とお客のような関係以上の、友人に近い関係を築ける場であるし、それが求められる場でもあるという理解をしています(だからこそ、職業教師への批判が根強いのでしょうね)。

そんな環境にある小学校教員に対して、授業が遅れたら大変だというプレッシャーで、せっかくの関係性を築くチャンスをないがしろにしてしまうのは勿体ないですよね。文科省も色々と教員の働く環境の改善を検討されていると思いますが、教師が伸び伸びと指導できる環境を整えてもらうことが、結果として子どもにいい影響があるということも理解してほしいと思います。

 

 

 

 

 

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