パパは裁判官 その1

兄弟がいると喧嘩がつきものですが、その仲裁には毎回頭を悩ませます。
基本的に本人たちの自主性に任せようとは思いますが、やはり、ある程度のタイミングで介入しないといけないな、という場面も出てきますよね。

そんな毎日のように繰り返される兄弟間の紛争を分析するコーナー。
本日のお題はコチラです。

 

 

◇事案◇

弟が大好きなプラレールで列車を走らせて遊んでいたところ、兄がその列車の進行先にクッションを設置し、その進路を遮断した。
これを受けて弟は激高し、兄の背中を数回殴打し、兄は号泣した。

 

◇考察◇

兄は日頃から弟への支配力を示す行動が目立つが、今回の事案もその延長であると考えられる。
したがって、兄がクッションを置いたのは偶発的なものではなく、その進路を阻む目的で、つまり、純粋に“いじわる”で行為に及んだものと推察される。

兄は弟からの殴打を受けても対抗しなかったが、これは兄が長男気質で親の言うことに比較的従順であり、日頃より“暴力は悪”との言いつけを守って、殴打を受けても無抵抗を続けたものと思われる。
これによって両親からの指示を守る姿勢をアピールし、両親を味方につけることを意図した可能性も考えられる。

一方、弟は次男らしく革命家気質で、兄弟間の序列を常に破壊することを心の底で望んでいるものと思われる。
そのため、今回のような自身の大切にしているテリトリーへの侵入には感情反応を起こし、こうした行為に及んだ可能性が考えられる。

 

◇裁定◇

我が家においては、自身や他者への暴力は物理的であれ精神的であれ忌むべき行為であるという教えがあるため、これに則り、弟に対し、どのような理由があれ、最終的に物理的な暴力に及んだことへの反省と、兄への謝罪を促した。

ただし、今回の事案では兄の“いじわる”が弟の行為の引き金となったことは明白であり、兄の行為も賞賛されるものではなく、むしろ形を変えた暴力の一種であることへの反省と、弟への謝罪を促した。

両者とも暴力的行為に及んだことに違いはなく、精神的なものと物理的なものを比較することは難しいが、今後の弟の社会生活を考慮すると、物理的な暴力の方が社会的に重いものと判断されやすいことから、こうした行為が続くようであれば弟にとって不利益になる可能性が高いため、弟の過失割合が高いものとした。

ま、喧嘩両成敗ってやつですね!
兄の弟への支配的行為は、自分も兄だったから心当たりはないとも言えません。

この誤った優越感は払しょくすべきですが、閉ざされた家庭という空間で、生まれた順という圧倒的な“差”は中々埋められるものではありません。
年長者を敬うことは大切ですが、それは敬われる側が相応な謙虚さを持ち合わせて初めて成り立つ関係性だと思います。

カッコいいな大人になるためにどうすればいいか、子どもへの仲裁を通じて一緒に考えていきたいですね。

 

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