気になるニュース:墓じまいに関わるトラブルが増加中

近年、継承者不足などで田舎の墓を近隣へ引っ越しさせる墓じまいをさせるひとが増加しており、それに伴ってトラブルも増加しているとのことです。(高額な離檀料、面倒な手続き… お寺と檀家の間で“墓じまい”を巡ったトラブル急増中 Yahoo!ニュースへのリンク)
生まれてからずっと東京などの大都市で暮らされている方からするとピンとこないかもしれませんが、田舎における“お寺”は、現在の高齢者層にとってはほとんど公のもの、むしろそれ以上の存在になっていることもあります。

今回はこれについて考えてみます。

 

お寺は昔は市役所だった!?

そもそもなぜこれだけお寺が力を持つようになったかといえば、江戸時代にはじまるとされる檀家制度に理由があるようです。これは、お寺に全員が所属して檀家となって、お寺に葬儀や供養を委任する代わりに、お布施(我々の地域では護寺費と呼んでいます)を支払って経済支援をするという仕組みです。

他にも、昔のお寺は今でいう戸籍や住民票のようなものを管理しており、結婚や引っ越しの際に檀家はお寺に報告するなど、さながら市役所のような役割も担っていたようです。

昔の人にとってお寺は、宗教上の拠り所+公的機能という重要な役割を持っていて、今では公的機能は薄れたとはいえ、その大切にすべきポジションというのは脈々と受け継がれているという訳ですね。

 

住職はサラリーマン?

こうした役割を担っていることはお寺側も承知して、相応しい活動をされている住職さんはたくさんいらっしゃいます。祖父がまだ存命の頃は、毎週住職さん(ごえんさん、と呼んでました)がやってきて、お経を読み、供養の後は祖父と談笑して過ごし、時には私にお土産もくれたりしたことをよく覚えています。

日曜学校なども頻繁に開かれていて、説法やお経の勉強などをしたこともあります。その住職さんが亡くなられた際には、町民が総出で葬儀に参列するなど、地域に愛された方でもありました。

 

ところが最近目につくのが、こうしたお布施を当たり前のものとして認識するお寺の人が増えてきたのではないか、ということです。

先の住職さんの跡継ぎは、サラリーマンを経て住職になったという経歴も影響あるのかもしれませんが、家への訪問は極端に減り、来たとしてもコミュニケーションはほとんどなく、ただお経を読み上げて帰っていくという形になっていました。

お寺の活動は「いくら払うからこれだけのサービスをしてくれ」という契約ではありません。したがって住職さんの行動は何ら問題ないわけですが、逆をいえばお布施を支払うことも、その額も契約で決まっているわけではありませんから、これまでの住職さんとどうしても比べてしまいますよね。

お寺と檀家の付き合いは、単純な会社と顧客という関係性ではありません。そこをはき違えてお寺が採算性などを考えだすと、要求されるサービスが定まっていないがために、その質は落ちる一方になると思います。

 

お寺大倒産時代がやってくる!?

こうしたサラリーマン住職の増加に、昨今の都市化や地域コミュニティの喪失が問題に拍車をかけている気がします。墓じまいトラブルの大半は継承者がいなくなったから、ということのようですが、田舎から都会へ働きに出てそのまま戻らないという人は多いと思います。

お寺を支える人が減少する一方で、ほとんどのお寺は何ら新しい手だてを考えず、ただただ必要な金額を頭割りで請求することが一般的です。先日実家に、毎月のお布施以外にも、ほとんど行ったことがない本殿の建て替えに数億円必要だから、一戸あたり数百万のお布施をお願いします、という案内が届いたそうです。信じられませんよね。

離檀料トラブルの原因もここにあると思います。お寺はこれからお布施がもらえなくなるという計算をして、年間の収支を合わせるために法外な値段をふっかけているのでしょう。相場が決まっておらず、また法的に支払い根拠のない離檀料ですが、過去のお寺との関係性や逆らったら罰があたりそうという心境からか、泣き寝入りする人も多いそうです。

 

公的機関としての機能が薄れ、田舎でも葬儀は葬儀会社で簡単に済ませることが多くなった昨今、お寺の存在価値は信徒の精神的支柱が大半を占めると思いますが、それは上述した住職さんのような、神職を体現するような人でこそ成り立つものだと思います。お布施で買った外車を乗り回し、ほとんどコミュニケーションをとらない住職さんから、自らの生活スペースが大半を占める神殿(という名の新居)を建てるお金をぽんと出す人はこれからますます減少するでしょう。

一人当たりのお金を増やさないとお寺が維持できない、というのは私はあまり共感できなくて、需要がないなら潰すしかない、という考えです。祖父母の時代の様に、自分たちは貧乏してもお寺を護るという人は減ってきています。文化的に保護すべきなら国がすべきで、我々ではありません。

大学も今大倒産時代の瀬戸際にいますが、お寺もいずれ、そうなってくるかもしれませんね。

 

 

 

 

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