私が就活中に情報収集する中で「大学職員はキャリアの墓場」という言葉を聞いたことがありました。大学は象牙の塔であり、他の会社などで役立つスキルや専門性は身につかないため、転職は絶望的という意味で使われていたように記憶しています。
今日はこれについて持論を述べてみたいと思います。
大学職員が転職しずらいのは事実だと思う
私は現在の大学に新卒で勤めて10年以上経ちますが、この間、同業種・異業種問わず、転職された方は皆無でした(転職してくる人はいっぱいいます)。
もともとこの業界は離職率が極めて低いこともありますが、去られたケースも「パートナーが遠方に行くことになって」とか「海外留学してみたいから」といった理由で、次の職場などでキャリアアップを!というのは見たことがありません。
「居心地よすぎて転職なんて考えられない」というのがほとんど正解な気もするのですが、一方で転職できないというのもまた事実な気がしています。
その理由について、くどくど書いてみます。
大学職員の生産性は実は高い
いきなり何の話?という感じですが、一応関連してると思っていますので、ご容赦ください。
「は?あんな暇そうにしていて楽そうなのに生産性高いわけないでしょ!」という声が聞こえてきそうですが、個人的には大学職員は相当に生産性が高いと思っています。
私も詳しくはないのですが、BOWGLによれば、労働生産性は、
産出(output)/投入(input)
で示されるとのことです。
そして、労働生産性は、産出の捉え方によって「物的労働生産性」と「付加価値労働生産性」に分けることができるようです。
物を生み出さない業種である教育業界では、後者の「付加価値労働生産性」が合っているのではないでしょうか。この場合、付加価値額(産出)は①営業利益+②人件費+➂減価償却費が該当(企業の粗利に近い)します。
これをMARCHの中でも特に高給であった、明治大学の2018年度決算を当てはめてみましょう。
明治大学の2018年度活動区分資金支計算書からそれぞれ引用すると、ざっくり、①65億7,755万+②307億7,958万+40億8,243万=414億3,956万円となります。
次に、2018年度の事業報告書より、兼任も含めたすべての教員数(2,883人)と職員(573人+102人)を算出してみると、合計3,558人となりました。これが、投入になります。
これらを元に生産性を計算してみると、明治大学の2018年度の一人当たりの生産性は414億3,956万÷3,558=1,165万となりました。
公益財団法人日本生産性本部の公表している「労働生産性の国際比較」によれば、2017年の日本の一人当たりの労働生産性は84,027ドル(837万円)/OECD加盟36ヶ国中21位ということなので、日本の平均を軽く超えています。1,165万円は6位のベルギーとほぼ同水準で、かなり高いと言えそうです。
また、時間計算してみると、1,165万を単純にフルタイム相当の1,800時間(7.5時間×240日)で割ってみると、6,472円となり、日本の平均47.5ドル(4,733円)/OECD加盟36ヶ国中20位を優に超え、11位のオーストリア(64.7ドル)と同水準。
有休のとりやすさなどを加味すれば、もっとベースが上がると思います。
勿論この比較はかなり強引なので、細かい数値は違ってくると思います。
しかし、これだけ休みが多く、残業も少ない状況で、今でも年功序列がかなり機能していて、全国平均でも600万以上(補助金の減額基準がこのくらいだったと思います)の給料が支払われていることを考慮すれば、大学職員の生産性が高いことは間違いではないのではないでしょうか。
ただ、大学職員の生産性が高いのは個人の力量(だけ)ではない
しかし、この生産性の高さは大学職員は優秀な人が集まってるから、ということ(だけ)が理由ではないと思います(もちろん、優秀な方はいますよ)。
まず一つは、教員によって生産性を引き上げてもらっている点。
教員批判をする職員は多いですが、なんだかんだで大学が成り立っているのは教員がいるからです。
ドル箱である教育サービスを支援していること、そして教職協働の波や格差是正によって教職間の給与差がそこまで開いていないこと(半分にするとかはなかなかありません)で、職員給与も高くなっています。
もう一つは、大学職員の仕事は各大学・部署が独自に築き上げてきた“前例”(冗談半分で最近はレガシーと呼んでいます…w)を上手に踏襲することが基本になっているからです。
これからは創造性を発揮して…という声もあるでしょうが、多くの前例は、長年培ってきたノウハウや経験が活かされていることが少なくありません。良く調べずにやみくもに変えてしまうと「実はこういう配慮からやっていたのに…」ということがちらほら出てることもあります。
教育という確立された枠組み(事業モデル)が劇的に変わらない限り、前例を基本的には踏襲することが最適解の可能性が高いのです。
そして、この構造的な恩恵もあり、基本的な業務は毎年マイナーチェンジするにとどめ、少ない労力と固定化されたパターンで業務をこなすことで、生産性が非常に高い状態を作り出していると言えるのではないかと思います。
大学職員の専門性が役立つのは限定的
ただ、その生産性の高さとなっている仕組み・それに対する専門性が、大学業界だけ、もっと言えばその大学のみ、更に言えば一部の部署でだけ役立つ!というように、ニッチすぎることが他で活躍しずらい原因になっています。
どれだけ特定の部署で重宝されている人でも、異動すれば初任者となって、実務面では新卒とほとんど変わらないようなパフォーマンスしか発揮できないこともザラにある話です(もちろん、これまでの人間関係などで他部署と関係する仕事をスムースにこなせることはありますが…)。
にわかには信じられないでしょうが、50後半で異動してきた人(役職なし)が「新人です」と言って雑用のような仕事をやっていても許される世界です。
部署間でこれなのですから、大学間なら尚更、異業種なら言葉にするまでもないでしょう。
また、残念ながら、大学のエンジン(稼ぐ場所・強い場所)は教育に携わる部門であり、それは多くが教授会であり、そしてそれに属するのは教員だけである以上、職員が主導的立場になるのは困難です。
最も成長できる部門である教育に携わりにくい時点で、大学職員はエースを支援する補佐役に徹するほかありません。
花形部門での成長の機会は絶対に得られないまま、他業界ではほとんど役に立たないニッチな専門性を数年おきに習得しなおすサイクルが職員の仕事です。
これでは「キャリアの墓場」と言われても、確かにその通りだと言えるかもしれません。
それでも転職市場で人気ナンバーワンの大学職員
ここまで大学職員の転職市場での価値が如何に低いかを書いてきたわけですが、それでも、大学職員は転職市場で大人気です。
それは、スキルアップのためのというより、大学職員をキャリアの終着点にしようという方が多いからだと思います。教育という業界に熱い思いをもって職員を志す人もいると思いますが、私みたいに「できるだけ楽してそこそこの給料を」という考えの人も多いのではないでしょうか。
転職された方に「どうして大学職員になろうと思ったのか」を聞いてみると、あまり関係性を築けていない場合は非営利の魅力を語ってぼかす人が多いですが、ある程度仲良くなると、「前職が忙しすぎたからゆったり仕事がしたい」「給料が良いから」などの意見が出てくるようになります。
そしてそれは決して悪いことではないと思っていて、そういった方はやはりこうした環境に感謝して一心に仕事をされることが多いです。生産性が高い職場では、精神的にも経済的にもゆとりが生まれますからね。
とはいえ、これからの大学業界を考えるとどうなるかは怪しいところです。
インターネットが登場して、AIだなんだと多くの仕事が劇的に変わっている中で、50年前とほとんど同じことをしている、人類最後の化石のような業界が教育業界だと思っています。
逆に言えば、今後、他業種と比較しても最も劇的な変化が起こりやすい分野と言えなくもないわけで、現状維持で安住できる!ヒャッホー!という方には、想像を絶する変化に遭遇する可能性があることも念頭に置くべきでしょうね。
その意味で伸びしろ(?)のある、面白みある業界と言えなくもありません。この辺りはまた、深く考えたいなぁと思っているテーマではあります。
最後に、割と重要な話ですが、大学職員から大学職員への転職も難しい場合があることを覚えておくとよいと思います。
大学職員は他業種以上に横のつながりが強く、定期的に会合をして情報交換しているケースも結構あります。そんな状況ですので、取った取られたにならないよう、わざわざ関係性の深い大学の職員を採用することは稀です。
地理的に遠ければまだしも、同じエリア内で、「いずれは待遇の良い大学にいきたいけどまずは…」という感じで他の大学に入社してしまうと、転職の際にハンデを負う可能性は非常に高いです(転職の難しさは十分書きました…w)。
ということで、職員としての大学探しは、終着点のつもりでされることを強くお勧めします。
皆様のご参考になれば幸いです!
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