サッカー日本代表の他力本願戦術について

無事決勝トーナメント進出を決めた日本代表ですが、ポーランド戦の”戦術”については、賛否が巻き起こっているようです。
私もリアルタイムで観戦してたのですが、やはりあの戦い方は見ていて気持ちのいいものではありませんでした。

今回はこの問題について考えてみたいと思います。
なお、私はサッカーについてはワールドカップくらいしか見ませんので、にわかであることをご承知おきいただければと思います。

 

スポーツにおける正義とはなにか

今回の問題では、いわゆる”スポーツマンシップ”と決勝トーナメント進出という”結果”が天秤にかけられ、最終的には後者が選択された試合であったと思います。
物事の正義を論じるうえで大いに参考になるのは、一昔前大ヒットした、マイケル・サンデル教授(ハーバード大学)著書の「これからの正義の話をしよう」ですが、正義を語る切り口は、幸福の最大化、自由、美徳の3つがあるそうです。

今回のケースでは、チームないしは日本国民にとって幸福の最大化という観点で考えるならば、決勝トーナメントへ進出することが最も望ましい結果であると言えると思います。
そして、日本代表チームはルール上は問題のない、自軍内でのパス回しという”自由”な戦術によって、その結果を獲得しました。
日本代表を擁護する論調には、この”結果がすべて”や”ルールに基づいているから問題ない”というロジックが中心に添えられています。

一方、これに反論する意見は、主に”美徳”の観点でロジックが構築されています。
つまり、他チームの結果に頼るという他力本願な姿勢や、フェアプレーポイントの差で勝つことを期待しているのにフェアプレーでないことなどです。
スポーツにおいては結果はもとより、正々堂々と戦う姿勢に感銘を受けたり、清々しさを求める傾向がありますから、今回のようなプレーは勝つためには必要なのかもしれませんが、見ていて気持ちのいいものではない、という意見です。

両者の意見とも一理あり、正直どちらが正しいとは言えません。

 

我々が大事にしているものは何なのか

こうしたとき、諸外国に意見に惑わされてはいけないと思います。
16強に入ることのできなかった国や歴史的背景のある国からは、公平な立場というよりは僻みによってコメントがなされる傾向があると思いますし、そうでない国からも、美徳の観点からはたたきやすいですから、辛辣な意見が出ることは当然です。

問題は、日本人である私たちがこの結果を、そして内容をどうとらえるかということだと思います。
日本には古くから名誉を重んじる文化があります。
恥を忍ぶくらいならいっそ死ぬ、という自決の精神があるくらいですから、今回のように他から何を言われようとも勝てばいいという姿勢は、日本人にとってはDNAレベルで受け入れにくいことだと思います。

今回も渋谷で大騒ぎする人たちが撮影されていましたが、彼らは単に祭りを楽しんでいるだけで、誤解を恐れずに言えば、結果はそれほど重要ではないと思っていらっしゃる気がします。
今回の結果を受けて、手放しに喜ぶ人がどれほどいるのかなぁというのが正直な感想です。

 

今後に向けて

ワールドカップは、形を変えた各国の戦争のようなものだと思います。
国家の思想、文化やイデオロギーの衝突を、選手が代弁してくれているようなものです。

勝てば官軍という言葉ありますが、この世界は勝者が歴史を修正していくので、今回も例えば次日本代表がベルギーに勝ったとしたら、この戦術は正しかったと賞賛されることになると思います。

どちらが正しかったのか、という意見の一致は永久にみることはないと思いますし、それをどう解釈するかも、我々の目的次第で変わってしまいます。
過去は変えられませんので、この結果をどう解釈するか、そして次に繋げていくかが大事なのだと思います。

個人的には今回の内容は受け入れがたいものがありましたが、選手たちはそれを理解したうえで、未来志向の話をされていました。
確かに見苦しさを感じる試合でしたが、だからといってこれまでの日本代表の功績を否定することはないと思いますし、今後応援しない理由になるはずもありません。

日本人である我々が応援しなくて他の誰が応援するんだ、ということですから、次は日本人らしい清々しい戦い方を期待しつつ、決勝ト-ナメントも精一杯応援していきたいですね。

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