思い出はプライスレスっていうけれど…やっぱりかかるお金は気になるもの

この週末を利用して、またまた子どもたちとプールへ行ってきました。
妻と下の子は別の予定があったのでどうやって休日をつぶそうか悩んでいたところ、10年来の友人からお誘いがあったので、ありがたく遊んできました。

今日はその時感じたことを書こうと思います。

 

大混雑のプール、待ち時間90分越えのスライダーにあなたは乗る?

前回のグランピング場とは違い、今回は近所のちょっとしたプール施設で遊んだのですが、到着してみると既に長蛇の列。
夏だから当たり前なのかもしれませんが、さすがに普段この近くを通ってもこんなに混んでることはなかったので、この時点では私は萎え度が高まってきていました。

入ってからも当然、人、人、人!で、浮き輪に入れる空気入れも15分くらい待つし、タオルなどを置くスペースもないし、いざプールに入ってもほとんど身動きできないまさに“イモ洗い”状態で、かなりげんなりしてしまいました。
子どもたちは、その状態でもそこそこ楽しんで遊んでいたようですが、段々普通のプールに飽きてきたのか、大型のスライダーに乗りたい!と言ってきました。

このスライダー、1回500円くらいするし、待ち時間が90分とかなっていたので私は頭の中で即却下して、子どもに「時計の針が1周半くらい待つんだよ」と諦める方向に誘導しようとしていました。
ところが、友人が「全然待つから下の子と遊んできて」と言ってくれたので、私達は他の場所で遊びながらのんびり待つことにしました。

実際は1時間かからないくらいで滑れたのですが、所要時間は1分ほどで、私としては待ち時間と費用に対して釣り合ってないんじゃないかと思っていました。
しかし、翌日の子どもの絵日記を見ると、プール楽しかったという文とともに、友人とスライダーを滑る絵を書いていたのでした。
それをみて私は何とも言えない気持ちになってしまいました。

 

お金や時間は役に立たないことに使うのが正解なのかもしれない

お金だけでなく、時間も大切な資源であり、お金以上に、いやむしろ人生で最も価値のあるものだと思っています。
今回も500円という値段だけだったらまだしも、待ち時間90分による犠牲-その他の施設で遊ぶ機会の損失や窮屈な状態で待つストレス-を考えると、私は待つことに躊躇してしまったのですが、結果をみれば、子どもの一番の思い出になった、という訳です。

中流家庭のサガか、私はレジャーや旅行でも小市民ぶりを発揮し、値段などをいちいち気にしてしまい、色々と我慢してしまう(させる)傾向があります。値段を気にして心から楽しめていないと言えるのかもしれません。

一方で、これまで付き合った裕福な家庭では、そういった思い出作りや体験にお金を惜しまない傾向が見られます。
もちろん、それ以外のところでは引き締めているからこそお金があるという事なのでしょうが、自分が価値を認めたものに対してはさっと出すという姿勢が違うのだと思います。

こうした思い出作りや体験にお金を払うことは、一時的には支出となって負担になります。
しかし、そこで得た価値観や経験を通して、子どもが新たな発見をしたり、家族にとっての大切な思い出となって絆が深まれば、長期的には+となる可能性があるのかもしれません。

 

…と書いていて痛感しましたが、こうして思い出作りや体験の費用を“投資”として捉えていること自体が、そのリターンを気にしてしまうので、心から楽しめない原因になっているのかと思えてきました。

最近ニュースでホリエモンが「人間が生きていく上で絶対に必要なことは機械やAIが全部担うようになっていくから、不必要なことをしろ」と言っていましたが、これはお金や時間の使い方に通ずる部分があるな、と思いました。
私のように、必要(だと思えるよう)なことだけを選択してお金を支出するという考え方では、レジャー費用はどうしても判断が難しくなってきます。一方で、お金や時間を使う基準を楽しさに置けば、レジャー費用はどんどん支出すべきということになると思います。

こうした考えや行動は、余裕があるからこそできるという反論があるでしょう。
ただ、お金がなくても心は豊か、お金持ちでも心は貧しいというケースがよくあるのは、こうしたお金の使い方によるものではないかとも思うのです。
中流家庭ではお金に余裕はなく、将来も不安で支出をできるだけ減らし、貯蓄に励みたい気持ちも分かりますが、もっと“今の楽しさ”に目を向けてみるのもありなのではと思えてきました。

 

最後に、ふと思い出したフレーズがあったのでご紹介します。

(数学が何の役に立つのか聞かれた際の返答)

「だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね」

(出所:森博嗣-「冷たい密室と博士たち」より)

 

役に立たないことにお金や時間を使うことこそ、人間が人間らしくあるための方法と言えるのかもしれませんね。
子どもの絵日記をみて、そんなことを考えさせられたのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA