友人宅にお泊りした話ーやっぱり他人の家は落ち着かない!?

この3連休は酷暑の言葉に相応しい、凄まじい暑さでしたね。
そんな中、我が家はクーラーをガンガンにかけてガソリンという資源の無駄遣いをしながら、大型プールへ行ってきました。車で2時間ほどと少し遠いところにある場所で、前回大雨の影響で宿泊できなかった、某グランピング場です。
今回は友人の提案で、その場所に比較的近い友人宅へ前泊していくことになりました。

そのとき感じたことを書いていこうと思います。

 

 

日本人はもてなされ慣れていない?

私たち夫婦だけならいざ知らず、赤子を含めた子ども3人の計5人がお邪魔するとあって、出発前から不安でたまりませんでした。

特に不安だったのがおねしょ問題。
上の子たちもまだ夜のオムツがとれていませんので、普段使っているおねしょシーツと、妻の作った特性おねしょガード(腰に巻くスカートのようなものです)を持参の上、夜中に何度かトイレに起こす作戦をたてていきました。

また、水回りの利用はなんとなく気が引けるもの。
お風呂は近くのスーパー銭湯を利用し、トイレも友人宅到着前にコンビニで済ませ、その後はみんなで夕食を食べに行った際、公園で遊んでいるときなど、なるべく友人宅のお手洗いを使わないようにしました。
朝も朝一で出発でしたので、朝食を買うコンビニまで我慢しました。

それでもご迷惑をおかけすることになるので、少しお高い手土産を持参したのは言うまでもありません。

 

こうした友人宅へ泊る際のエチケットをネットで調べながら、実は泊まる側の方が負担が大きいかもしれないと感じるとともに、日本人は友人宅へ泊るという事に慣れていないと思ったのでした。

泊める側は文字通り“ホーム”ですし、日本人のおもてなしの精神は旅館やホテルだけでなく、こうした一般家庭にもある程度浸透していると思うので、快適に過ごしてもらえるよう色々な配慮を行うのは特別なことではないと思います。

しかし、サッカー場でのゴミ拾いや、外食時のテーブルの片づけに見られるように、日本人は“人様に迷惑をかけない”という精神が染みついていると思いますので、友人にいくら迎えて頂いているとしても、少しでも迷惑をかけないように、と心から滞在を楽しむことが出来ないのではないでしょうか。これではこれで美徳だと思いますが、“おもてなしの精神”はあっても、“おもてなされの精神”というのは身についていないのが日本人なのかもしれません。

 

ゲストルームという文化について

こうしたことを考えたとき、日本にはあまり馴染みのない文化として、海外のゲストルーム文化が興味深いです。
少し前にテレビでやっていましたが、海外ではある程度高級なホテルや戸建てには必ずと言っていいほど複数のゲストルームがありますし、その内装もベッドだけでなく、個別のバストイレがついているなど、まるでホテルの一室のように整えられています。掃除が大変そう、と思ってしまいましたが、部屋はすべてメイドさんが掃除するそうで、主人はあまり関与しないとのことでした。

これは極端な比較なのであまり参考にならないのかもしれません。ですが、よく海外は個の文化で、日本は和(集団)の文化とされることがあるのが、ゲストルームという文化の有無に現れている気がしています。

海外は個人はどこまでいっても融合しえない分離した存在であることを認めています。一方、日本は島国で単一民族という特性からか、個人は融合できる、という価値観が根強くあると思います。英語圏など海外では友達と遊ぶときに“can i join?”と言うのに対し、日本では“まぜて”を使うのは、こうした考え方の違いからくるようです。

ゲストルームも同じです。独立したスペースを用意して普段の生活スペースに“joinする”という考え方で、海外では必要の必然性がある一方、自らの生活スペースの一部に“まぜる”という考え方の日本では、こうした文化は生まれなかったと言えるのかもしれません。

 

和の文化の行く末

こうした文化の違いはどちらか正しいとか正しくないはないと思います。ですが、どんどん個人の時代が進展する中で、日本人的な和の文化が息苦しくなるシーンも増えるかもしれないというのはある気がしています。
残念ながら我が家を含め、日本でゲストルームを用意できる人は少数でしょうから、お互いのために、宿泊はホテルなどを利用するのが賢明かもしれませんね。

我が家でも、以前実の親に泊まってもらいましたが、最初は頑なに近隣のホテルに宿泊すると主張していました。泊める側としては親なので気にもしていませんでしたが、親といっても他人は他人です。やはり他の人の生活圏に入るのは抵抗があるでしょうし、日本人的な遠慮もあったことでしょう。ですので、次からは、近隣ホテルに宿泊してもらおうかと思っています。

実の親なのに冷たい!と思う方もいるかもしれませんが、“和”の押し付けではなく、こうした“個”への配慮の方が、お互いを尊重することになるのではないかと思うようになってきています。

和を以て貴しとなす文化は後世まで伝えるべき日本のアイデンティティだと思っていますが、個の文化が醸成された先には、ほとんど見られなくなってしまうかもしれません。

 

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