原点回帰

最近忙しく、なかなかブログを更新できませんでした。

更新するのが億劫になってたというのもありますが、何よりこれまで書いてきたブログ内容が自分自身を表現するのに果たして適切だったのかなぁと思ってしまったことが何よりの原因だったと思います。今回はこのあたりのことをつらつらと書いていきたいと思います。

 

好きなことを仕事に…?

これまでこのブログでは「好きなことを仕事にできる」というホリエモンが言いそうなメッセージを頻繁に使ってきたように感じています。そして、それこそがこれからの社会を自由に生きるためのカギになるような言い回しもしてきました。

確かに、現代の社会では、YouTubeやSNSを通して「好きなこと」を収益化することが可能になっています。それは否定しません。人々が働く必要性がどんどん薄れるようになる将来は、もっとこの傾向が強くなると予想します。

ただ、ネット上での自己表現が簡単になった分、多くの人に評価されるためには高いセンスを求められたり、日の目を見ない莫大な努力を要求されることもしばしばです。ヒカキンが、数分の動画を撮るのに数時間の編集作業はザラだと言っているように、簡単に稼げるような状況ではもはやなくなっているでしょう。

そして、もっといえば多くの人にって「好きなこと」はあれど、それが果たして今の安定を捨て去ってのめり込むほど好きかと言われれば、そうではないのではないでしょうか。

 

1%の人に響くメッセージ

最近読んだ本で、自己啓発本の類は1%しかいない「これをやりたい」という欲求がはっきりしている人々、つまり人生の目標が”to do”の人が書いている、と表現していました。

しかし、世の中の99%の人は、「こうありたい」、つまりbeing型の人間だと断言していました。だから、あるはずもない「やりたいこと」を探すのではなく、「こうありたい」という自分の快を求めて生きるのが、最適解である、というようなそんな内容だったと思います。

もちろん、根拠はありませんが、私は何となくしっくりきてしまいました。

私はこれまで、このブログで「自分のやりたいことを探そう!」みたいな偉そうなことを言ってきましたが、本質はずぼらで怠け者で、できれば仕事なんか明日にでも辞めて、毎日寝ていたい、そんな人間です。

やりたいことはおろか、やることがあるだけでストレスになっています。土日に予定があるだけでその週は憂鬱な気分になり、片方の休みがつぶれるだけでももはや地球が滅亡するかのような落ち込み具合です。

仕事に対する前向きな姿勢なんてなんのその、如何に楽して生きていけるかだけを考えているような人間です。上述の本に言わせれば、「他人にぶら下がっているだけのクズのような人間」ということですが、まさにそれなんです。

 

ズボラに生きていきたい

そんな訳で、私は基本的に仕事にやる気がなく、だらしない人間であると宣言させていただきたいと思います。

先日どうにもやる気が起きず有給をとった際、どうして日本では「しんどいから休む」ことが許されないのか、ということを思いつきネットでつらつら調べてみました。

案の定、多くのブログなどで、理由がなければ休めない日本はオワコン、幼少期からの休むことへの罪の意識が醸成されている、過度な負の連帯責任の存在への嘆きが叫ばれていました。

 

私もまったく同感です。

外国人が変だと思う日本語に「おつかれさま」があるそうです。どうしてそんなネガティブな言葉を言うの?ということらしいです。

この文化だけでも、確かに「あなたが疲れているのはわかっているよ、そして私も。でも、頑張ろうね」という暗黙の了解を深め合っている嫌なイメージがしてきます。この点、大学では多くの場面で挨拶は「こんにちは」なので、多少マシなのかもしれませんが…w

お疲れさまではなく、take it easy! 気楽に行こうよ!の文化が特にアメリカンなスタイルだそうです。私は日本の文化や歴史が好きですし、日本に生まれたことを誇りに思ってはいます。ただ、今の息苦しさを考えれば、生き方はアメリカンな方が楽だったのかもな、と思ったりします。

 

今後書く記事などでも、こういった本心を踏まえて書いていければと思っています。

よければ今後もお付き合いいただけますと幸いです(・ω・)ノ

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