先日自宅に、ネット回線の変更に関する営業の方が来られました。
我々の地域は電波の影響でTVを通常のアンテナで視聴することができず、やむなくネット回線の会社と契約しています。
今回の提案ではこれを丸ごと乗り換えることで月々の料金が2千円弱安くなります、というもので、値段的には魅力でした。
ですが、ほぼ即決で“お断り”することにしました。
今回はこの行動をとった理由について考えてみました。
断る理由を考える前に既に断ることは決まっていた
何を言ってるかわからねーとおもうg…(以下略
冗談はさておき、一般的な考えでは、現在使用している回線と提案されたものの内容を比較し、その差と値段も勘案してパフォーマンスが優れるほうを選ぶのが合理的です。
ですが、私の中では自宅への“訪問営業”というスタイルでの提案の時点で、既に断ることはほぼ確定していました。
本来商品の良しあしと提案方法については何の関連性もないはずです。
ところが、「提案営業はまがい物を売っているに違いない」という先入観があるために、こうした提案を受け入れることは、業者に“丸め込まれた”と思ってしまうこと、もっと言えば、「ちょろい客だ」と思われる(かもしれない)という自己保身の心理が働いていたのだと思います。
なので、その後比較検討する際にも、検索で「○○ 契約 後悔」「○○ 遅い」といった私の先入観を補強する情報だけを収集し、最終的にお断りのための“それらしい理由”を作り上げていったのでした。
こうした行動は心理学において“認知バイアス”の一種の“確証バイアス”と呼ばれるものだそうです。
バイアスの“メガネ”を取っ払おう
こうした認知バイアスは知らず知らずのうちに私たちの意思決定を左右しているものですが、それを認識しているからといって必ずしも合理的な判断ができるかどうかは難しいところです。
現に、今回私もこうしたバイアスの存在は感じつつも、やはりそれに抗うことができずにいました。
今まで積み重ねてきた価値観の蓄積、そしてそれを変えることの難しさは相当なものです。
人間は機械のように全てを合理的に判断できるはずもありませんし、この不合理さが人間性なのだとも思ってしまいます。
バイアスはその人の個性であるといっても過言ではないかもしれません。
しかし、これも私が“今の自分から変わらないため”に引っ張り出してきた都合のいい言い訳なのかもしれません。
今回はネット回線の選択という些細な意思決定でしたし、私が重視する事項(回線速度)は既存の契約が上回っていそうでしたので、月2千円弱の削減ができなかったとしても、最終的な判断としてはそれほど大きな問題にはならないと思います。
ただ、今後こうしたバイアスによって問題が生じるとも限りませんし、大きなチャンスを逃す恐れもあると思います。
機械に近づくためではなく、自らの人生をよりよくするために、バイアスのメガネを取っ払う努力は続けていきたいですね。
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