先輩風びゅんびゅん丸

どんな組織でも、そこに人が集う限り、切っても切れないのが人間関係。入社年次、年齢、性別といった属性だけでなく、性格や価値観といったパーソナリティの違いもある中で、多くの人と付き合っていなかければならない訳ですが、ひと際生暖かい目で見られているのが、この先輩風を吹かす人ではないでしょうか。

今回は私の職場にいる、通称「先輩風びゅんびゅん丸」さんについてご紹介します。彼の行動に心当たりのある方は、陰でこんなあだ名をつけられているかもしれませんよ!

 

 

会ったこともないのに…。

先輩風びゅんびゅん丸さんは、過去、高校野球をされていたそうで、野球の話となると途端に元気になるタイプです。

ある時、地元のとある高校が甲子園出場を決めた際、他の方が「あのピッチャーがいいよね」とか「あのバッターはすごい!」といった他愛のない話をしていると、びゅんびゅん丸さんが割ってはいって、こう発言したのです。

「その選手、俺の後輩なんですよ」

どうやら、甲子園行きを決めたのはびゅんびゅん丸さんの出身校だったようで、周りも「おー、○○君の高校か」などと合わせていたのですが、私はポカーンとしてしまいました。

年齢的に、びゅんびゅん丸さんはその高校を卒業して既に15年以上経っていますし、その高校の野球部コーチとして指導にあたっている訳でもありません。後で聞いてみましたが、そもそも一度も会ったことがなく、一切の面識がないそうです。

にもかかわらず、得意気に、さも自らが育てたと言わんばかりに発言する様をみて、絶句してしまったのでした。

 

後輩への態度がデカすぎる割に頼りない

こうした例は枚挙にいとまがなく、びゅんびゅん丸さんは、あらゆる人間関係を縦の関係でとらえ、自分より下とみなした人にはこれみよがしに支配的態度をとる傾向があります。

あるとき、ほとんど会話もしたことがないような他所管の職員がやってきて、びゅんびゅん丸さんに一生懸命に話をしていたのですが、体はおろか視線すら向けるわけでもなく、パソコンを見ながら聞いています。そして、その時の相槌の言葉が「ほん」とか「おう」です。

当時、我々は主に企画を行う部署におり、その職員が現場で受けた他社との連携に関する話を、びゅんびゅん丸さんに相談に来ていたのでした。現場と調整することはあると思いますが、当然、我々の大学ではうちの仕事です。

にもかかわらず、その話を受けた数日後、びゅんびゅん丸さんがこそこそと電話をしだしたかと思うと、その相談にきた職員に「悪いけど、現場でたたき台を考えてくれない?」と仕事を丸投げしていました。これには、流石に現場の課長が苦言を呈し、びゅんびゅん丸さんは絞られていました。

 

先輩風を吹かしても許容され、特に問題視されない人というのは存在します。それは、所謂親分肌、兄貴肌の人ではないでしょうか。びゅんびゅんに風を吹かすけれども、いざという時は“下”を守る。そんな人ならば、普段エラそうにされても、恐らく何も言われません。

ところが、このびゅんびゅん丸さんはエラそうにはするけども清々しいくらいに頼りないがために、ちょっとしたエラそうな態度を見られるたびに、「びゅんびゅん風が吹いてるわ~」とネタにされているのでした。

 

先輩風は体育会の功罪?

私は体育会系を否定する気はないのですが、体育会系にこうした軍隊的な先輩後輩の従属関係を重んじる空気があるのは確かだと思いますし、それに染まった方が社会にはびこっているのもまた事実だと思っています。

びゅんびゅん丸さんはまさにこれに染まり切った方で、ほとんど関係性のない人にさえ、入社年次が自分より遅い=後輩=俺の方が上の立場、という認識で接するのが丸わかりです。そしてそれは、見ていてあまり気持ちのいいものではありません。

私の職場には、奇遇なことにびゅんびゅん丸さんと同じ高校の野球部の“後輩”が職員として採用されているのですが、その方への接し方など、とても見てられるものではありません。今では既に、その“後輩”の方が社内での評価は高いのですが、いつまでも当時の上下関係を振りかざすさまを見ていると、少し滑稽にすら思えてきます。

 

そしてこれは、裏を返せすと、こうした方は自分より上とみなした方へのゴマすり具合は半端ではないということです。

びゅんびゅん丸さんも、自分より数年早く入社された人に対しては、常に敬語で、尋常ではない気を張っており、ちょっとしたため息一つとっても、「だいじょうぶっすか」などと配慮を見せることができるのです。

それだけの察知能力があるのであれば、“後輩”からどう思われているかくらい、わかりそうなものなのですが…笑

 

私たちはみんな違うけど平等

何度も何度も紹介しますが、アドラー心理学を分かりやすく説明した「嫌われる勇気」では、私たちは、みんな違うけれど平等という言葉で、縦の人間関係を築くことを戒めています。

これは、子どもを支配・管理すべき存在ではなく、同じ人間として対等に接するべきという下りで出てきた説明なのですが、すべての人間関係に当てはまると思います。

縦の軸で人間関係を見ると、あの人にはここが勝ってるから俺の方が上とか、あの人は私よりここが凄いから私は下だな、など、すべてが競争となって、周りの人が全てライバルになってしまいます。

びゅんびゅん丸さんは、結婚されるのがやや遅く、それまで早く結婚した私などに「どうしたら結婚できるのか」などと相談をしていた口なのですが、結婚した途端、自分より年下の未婚の職員に対して「あいつはこういうところがあるから、結婚できそうにない」などと先輩風を吹かしだす始末です。

これはまさに、彼には結婚している=立場が上という認識があり、結婚によって自らの立場が上がったと思い込んでエラそうに振る舞い始めたと言えます。(断っておきますが、様々なライフスタイルがありますから、結婚しているのがエラいという主張ではありません)

こんな風に、あの人にはここが勝った、この人にはここが負けた、というのはしんどいですし、まして年齢や入社年次という順序だけですべての人間関係を捉えるのは、カースト制度を支持するのと何ら変わりない様な気もします。

 

私がこれまで出会った中で、偏見かもしれませんが、人間的に優れているなぁとか、仕事ができるなぁという人の多くは、人間関係を横の関係で見る、つまり謙虚な方が多かったように思います。

自分の父親くらいの年齢にも関わらず、若輩者の私の意見を重んじ、敬語で丁寧に接する方などは、周囲からの人望も厚く、私も快く指示にも従いたいと思えました。

びゅんびゅん丸さんも、長い間、先輩後輩の上下関係で生きてきて、そのまま社会人になったような人ですから、接し方がわからないのかもしれません。

 

彼の行動を見て我が振り直すことは重要だと思います。ただ、私が彼を変えることはできませんし、私と違う考え方をする彼もまた、みんな違うけど平等な訳で、彼を可哀想と“下”に見ることはせず、ありのままの彼を受け入れながら、社会生活を送っていけるようになりたいなぁと思います。

 

 

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