育児とかいう一大プロジェクトについて

改めて考えてみるまでもなく、育児って本当にすごいプロジェクトです。
育児は、数千万の資金と20年越えの時間を使って、一人の人間を自立へ導く一連の活動ですが、様々な不測の事態が起こりうるだけでなく、基本的に担当者が「やーめたっ」と代わる訳にはいかないなど、非常に難度の高い“タスク”であることは明らかです。

それだけに親への負担は相当なものです。
子どもを持つ親の“幸福感”は、そうでない人に比べて低いという研究結果や、男子一人につき3年寿命が縮むといった話も、実際に育児をしていると真実味を帯びてきます。
もちろん、子どもがいること、家族が多いことで幸せを感じる場面も多々ありますが、それ以上に日々が試練の連続であり、試されていると感じます。
そんな育児について考えてみました。

 

育児は様々な“タスク”の集合である

一口に育児といっても、その中身は様々なタスクが混在し、その割合も成長過程に応じて変化していきます。
具体的には、世話、遊び、教育、そして危機管理の4つに分けることができると思います。

 

1.世話

食事や排泄物の処理、着替えや入浴などの子ども自身の生活を維持するための活動です。
赤ちゃんから小学生くらいまでにかけて特に必要とされるタスクですが、成長に応じてこの割合は急激に減っていきます。

男性は世話が苦手だと言われていますが、私はむしろ男性向きなタスクであると考えています
というのも、世話は育児の中では珍しくゴールの見えるタスク、です。
食事なら食べれば終わり、排泄物も変えたら終わりですから、先が見通せる分、男性にはやりやすいと思います。

 

2.遊び

遊びは生活する上で必要不可欠なものではありませんが、それを行うことで満足感や高揚感を得られたり、ストレスの解消となるような自己充足型の活動です。

こうした“非生産的”な遊びをする理由について、遊びに関する著書で有名なロジェ・カイヨワ(仏)によると「自身の有する技術的・知的・身体的・精神的能力を最大限に無駄遣いしたいため」であり、「人間は慢性的にエネルギー過剰の状態にあって、生存するのに必要不可欠な量を超えた過剰なエネルギーを発散する必要があるため」と説明されています。

 

よくネット上で卓越した技術等で非生産的なことをする人に対して、“才能の無駄遣い”という言葉が使われたりしますが、これこそまさに“遊び”を先鋭化させたものでしょう。
他にも、特に男の子を育てている方なら、“慢性的にエネルギー過剰の状態”といのうはよく分かると思います。ちょっと疲れさせないと寝ないとか、家で暴れまわるとかありますからね…笑

遊びの難しいところは、あくまで自己充足的な行為であり、それらが相手にとってどのように作用するかは問わないという点です。
よく、子どもは大人からしたらわけの分からない遊びに興じますが、この時一緒に遊ぼうと言われも、その目的や意図が理解できず、ついついないがしろにしてしまいがちですよね。

 

男性目線でいえば、何かをするときは、ゴールとルールを明確にしたいものなのですが(ショッピングなどで女性と意見が合わないのはこういうことです)、子どもの遊びではこれが不明瞭で、大人には理解しづらいものがあります。
少し大きくなって、例えば各種ゲーム(ボードゲームやTVゲームなど)、スポーツといったルールに基づく遊びであれば、男性もやりやすいのですが、小さなうちの遊びはほんとうに難しいです。

ただ、こうした遊びに関心を持って真摯に向き合うことは、子どもの自己肯定感を育む上で非常に重要だと思います。男性的には少々慣れない分野になると思いますが、意識的に取り組んでいくべきでしょうね。

 

ちなみに、遊びは“非生産的なもの”という定義がなされていますが、遊びも極めればビジネスになることは、たびたび他の記事でも言及してきました。
将来的にAIなどの進化によって人間があらゆる労務から解放されたらば、その過剰なエネルギーの行く先は遊びであることに疑いの余地はありません。
そういった意味でも、遊びは大切にしていきたいですね。

 

3.教育

狭義には学校や受験勉強などの学業を教えることを指すかもしれませんが、もっと広く、子どもが自立するためのあらゆる知識を教えるのが教育だと思っています。

正直、大学業界に勤めている者の発言としてどうかと思いますが、高等教育で学ぶいわゆる“学問”については、必要不可欠なものだと思っていません。ただ、義務教育期間の勉強については、現代社会を生きていくうえでの最低限の知識を得られることができると思いますし、勉強に取り組む中で“できた!”という感覚を得ることや、共同生活の中で得られる知識などがありますから、非常に大切だと思います。
(私は、高等教育、特に大学については、だんだんと“遊び”になっていくと思っていますので、ある意味エンターテイメントの場を提供していく場所になっていくと思っています。)

 

勉強自体についてはいまや格安でオンラインの講義が受けられたりしますので学校や塾にお願いするとして、親としては勉強に深みを持たせるような関わり方、例えば社会の授業で習った場所に出かけてみるなど、側面的な支援が出来ればいいのかなと思っています。あとは、すべての土台となる国語力を育むために、幼少期は読み聞かせすることは大事だと思いますね。

 

教育については、「幸せになる勇気」の以下の文章で簡潔にまとめられていると思います。

自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたっての必要な材料―たとえば知識や経験―があれば、それらを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。

(出所:岸見一郎、古賀史健「幸せになる勇気」)

これだけなく、私にとって教育に対する方向性を示してくれた良書ですので、教育でお悩みの方については、前巻の「嫌われる勇気」とセットで読まれることをお勧めします。

 

4.危機管理


育児における危機管理は、これ単独で考えるのではなく、世話・遊び・教育の全てにおいて考慮すべきタスクです。そして、最後まで残るタスクでもあります。

世話においては、病気にならないよう衛生面に気を使ったり、遊びにおいては危険な行為をしないように注意を払ったり、教育については誤った知識を持たないようにするなど、危険はそこら中にはびこっています。

もちろん、四六時中子どもと一緒にいるわけにはいきませんので、取り返しがつかないような事態になることだけは避けるように助言し続けています。
例えば、小さな子どもにおいては、こけて膝を擦りむくくらいであれば、何の問題もないと思いますが、道路を無謀に横断して車と接触すると怪我ではすまない恐れがあります。他にも、傘や尖った木の棒などを振り回して相手や自分の目を突くなどすれば、最悪の場合失明に至る可能性もあります。
少々過保護かもしれませんが、こうした行為については気をつけるよう都度教えています。

こうした危険は成長や社会との関わりが増えるとともにどんどんと増えていきます。
例えばスマホを持つようになればメディアリテラシーに関する危険性を教える必要がありますし、娘も大きくなれば性に関する危険性を(これは母親の役目になると思いますが)教えることになると思います。
他にも、私は親に「借金だけはするな」と言われて育ちましたが、借金の是非は置いておいて、金融リテラシーの知識は小さなうちから教えるべきだと思います。

 

そしてこうした子どもへの危機管理と並行して親がなすべきは資金管理です。
世話や遊びにかかるお金は知れていますが、教育には莫大な費用がかかりますので、子どもたちが望む教育を受けられるよう資金を準備していかねばなりません。
我が家では一人当たり2,000万程度を見込んでいますので、3人で6,000万ものお金が必要になってきます。もちろん、大学にいかなかったり、奨学金を借りればこんなにいりませんが、逆に理系や医学系の大学にいくとなったらこれでは済まない可能性もあります。

生まれた瞬間から行き当たりばったりではなく、計画的に資金を準備してきたいですね。
教育資金ついてはまた後日別記事にしたいなぁと思っています。

 

育児の範囲は生まれた瞬間が最大で、以降は減少させていくべき

子育ての最大の目標は子どもの“自立”だと思いますので、親が関わる範囲はどんどん減らしていくべきだと考えています。
生まれてきたばかりの赤ちゃんはまだ何もできず、親がすべての世話をしなければなりませんが、大きくなるにつれ、子どもが一人でできることが増えていきます。
つまり理論的には、子育てにかかる手間はどんどんなくなっていくはずです。

個人的には、最終的に育児として残るのは危機管理だけだと思っていますし、その危機管理も資金や環境整備などの側面的なものが残り、子どもに直接“助言”することは、なくしていくべきだと思っています。

もっとも避けるべきはいわゆる“子離れできない”親になることで、こうした人々は無意識に子どもを支配下に置くことで、子どもの成長を阻害し続けます。純粋に子どもの事を思っているのではなく、自立されることによって、自らの“親としての地位”が崩れることを恐れているのだと思います。

子どもを子ども扱いするのではなく、一人の人間として向き合っていくことを心がけたいと思います。

 

 

非常に長くなってしまいましたが、育児プロジェクトの概要を書いてみました。
もし自分が仕事で“育児プロジェクト”の企画書を見せられた上で任せたら身震いするほど不安になると思いますが、実際にやってみると、大変ではあるものの、何とかなるというのが正直なところです。
まぁやるしかないんですけどね。

普段は忙しさを理由に育児について深く考えることはありませんが、たまにはこうして考えてみると反省や気づきが得られてよいと思います。
皆様も時間があれば、ご自身の育児プロジェクトについて考えてみてはいかがでしょうか。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA