仕事のできない大学職員

どんな組織でも“仕事ができない”とみなされる人はいると思いますが、大学職員の世界も例外ではありません。ただ、比較的業務が穏やかで、ノルマに追われることも少ない大学職員の世界で仕事ができないというのは、他の業界と比べると異質なレベルに達している可能性があります。

ということで、今回は私の大学で“仕事ができない”と言われている人たちについて考えてみたいと思います。「自分の学費はこんな人の人件費に充てられていたのか…」と思われるかもしれませんが、あしからずご容赦ください。

 

「2:6:2」ではなく「1.6:4.8:1.6:2」

いきなりなんのタイトルだという感じですが、組織には「2:6:2」の法則なるものがあるそうです。

具体的には、仕事ができる上位2割と、普通な6割、そして仕事のできない下位2割という感じです。不思議なことに、あらゆる組織でこうした傾向があるそうです。生産性を上げようと下位2割を切り捨てても、その8割の中でまた「2:6:2」の割合に分かれていくというから面白いですよね。働きアリなんかも必ずこうした一定数の“サボるヤツ”が出てくるそうなので、この辺は不測の事態に備えた生物の本能のようなものが絡んでいるのかもしれませんね。

ただ、この仕事ができるできないの評価は相対的なものだと思うので、切り捨てる前の下位2割と切り捨てた後の下位2割では確実に能力の差があるとは思いますし、6割の普通の層もレベルは上がっていると思います。リストラが市場で高評価を受けることが多いように、組織のレベルを上げる手段として時に代謝は必要と考えられています(日本では希望退職を募るしかなく、下位2割を削りたくても上位2割から消えていくという悪循環もあり得ますが…)。

ですが、個人的には大学職員の世界ではこれはあまり当てはまらない気がしています。というのも、大学職員の世界では代謝がほとんど効かないのです。離職率が極めて低く、いまだに終身雇用が機能している数少ない業界な上に、過剰なまでに権利が重んじられ(特に自由人である教員組織が存在する影響が大きい)、平等が原則とされる世界です。いくら仕事ができないといってもあからさまな閑職に追いやる訳にはいかないので、各所管で仕事ができない人を一人ないし二人抱えながら、異動の度にその方達をトレードするような現象が起きています。

この結果、どんなに忙しい部署でも仕事ができない人たちは戦力として見られず、空気のような存在として扱われるようになっていきます。他の人がどれだけ残業していても、膨大な仕事を抱えていても、その人にはそれらの仕事は任されません。そしてこうしてある意味で代謝された(?)この人たちに代わって、残り8割の中でまた「2:6:2」の再編が起きてくるわけです。

大学職員の世界で仕事ができない層は、この下位20%だけでなく、下から2番目の16%も含まれるイメージです。

 

下位16%の特徴

この層は、最下位20%の予備軍と目される層になっていますが、年齢が比較的若いことが特徴です。従って、上司の仕事の指示には従順ですが、そのペースや出来栄えが期待にほど遠いことから仕事ができないという烙印が押されています。一般的な企業で仕事ができないとみなされる人は、こうした人ではないでしょうか。

そもそもの書類作りなどの基礎的なスキル不足だけでなく、注意力が散漫で抜けが多く、理解力に欠けるため指示をはき違えたり、権限関係を理解できなかったりする人が多く、他所管とのトラブルも良く引き起こします。

また、昨今の“大学職員はホワイトだ”という風潮に乗っかって就職し、その待遇だけを謳歌する層もここに含まれる場合があります。上手い人はメリハリのある仕事ができるヤツということで上位16%に見なされる人もいますが、大抵は普通の48%にいれれば御の字で、ある程度無難に仕事はこなせても、権利ばかり主張する頭の固いヤツと判断されると、下位16%に転落する可能性が高いです。

この層の人たちは、できないとはいっても若さという武器があるため、まだ戦力になります。したがって、仕事も任されることが多いですし、上司も教育しようとします。時には、学内のワーキンググループやプロジェクトチームに抜擢されて(その多くが、個人の能力を買ってというより、所属する所管の意見を必要として、ということですが)、一線で活躍する機会を与えられることもあります。本人の意向は別にして、組織内での評価を高めるチャンスはまだある、ということですね。

 

最下位20%の特徴

下位16%は挽回のチャンスがありましたが、最下位の20%になるともはや誰からも必要とされなくなり、その芽も摘まれます。上司からも教育することはあきらめられて、頭数としても考えられなくなります。大学祭や入試など、主要な行事に呼ばれなくなるのも特徴。普通以上の人がいきなりこの層にくることは稀で、下位16%が年を重ね、この層に入ってくるパターンがほとんどです。

この層では仕事ができない(任されない)自分、自分より年下の上司がたくさんいる状況を正当化するために「この組織は無能な人を管理職にする馬鹿の集まりだ」といったように、組織の見る目があれば自分は活躍できるのだという可能性の中に生きようとする人が増えてきます。年下の上司に「〇〇君」と上から目線で話して優越感に浸る人も多いです。

他人を攻撃して劣等感をぬぐえない人は、あからさまに責任感(責任をとることと責任感があることは違うと思っていますが)がなかったり、仕事に無関心・不干渉を徹底されたりするなど、不従順を貫くことで消極的な反抗をされるケースが多いですね。「自分はもう競争社会は降りたから」などが口癖になっているかもしれません。

さらにこれが悪化していくと「もう自分は年だから何もできません」とったように、無能の証明をし始めます。「それなら退職してくれ!」と心の中で叫ぶ人が多いですが、面と向かっては言えないし、それでクビにする文化もないので、放置されているのが現状です。

この層は、一般的な会社では解雇されているケースが多いような気がしますが、旧態依然とした組織では同じような人が見られるかもしれません。いわゆる窓際族ですね。

 

あまり抽象論ばかり書いてもあれなので、我が大学のこの層の人たちの目に余る行動では…

  • 9時始業で8時40分頃到着したら、20分間を超過勤務として申請する
  • 終業時間まで他所管をブラブラして、戻ってきてから雑務を処理して超過勤務を申請する
  • 1日にタバコ休憩が2時間くらいある
  • トイレに頻繁に籠る
  • 夏期に20連休をとったりする
  • 勝手に遅出・早退する
  • 大雨の日(台風でもない)に、「出勤する必要あるか?」などと聞いてくる
  • 少しでも気に障る発言をした若手に対して「君とはもう仕事しない!」などといって無視する
  • 労基法、服務規程などを都合よく解釈して過度に経営陣を責める

などなど。

 

勤務面でルーズな印象が多いですね。日常的には普段から文句ばっかり聞かされるので参りますし、学生にも横柄な態度をとることが多いので、アンケートなどで苦情を書かれることもよくあります。

 

まとめ

私も昔はこうしたできない(と自分が決めつけた)層に苛立ちを覚えたり、攻撃的な口調で話してしまったりと、大人げない行動が多々ありました。ただ「他人は変えられない」という意識が強くなってからは、そうした行動は格段に減りました。

今は他人の評価は気にしないようにしようと心がけているので、こうしたできないレッテルは気にしないことにしています。偉そうなこと書いてはいますが、私も含まれるとしたら良くて普通の層、段々と下位16%層に足を踏み入れている気はしています。若手に「あの先輩使えねぇ!」と陰で罵しられているかもしれませんね。

ただ、貴重な学費(この原資もおよそ半分は奨学金、つまり税金です)、私学といえど少なくない税金が投入されている以上、あまりに酷いようであれば代謝を促す仕組みも考える必要はあると思います。とある先輩がこうした人たちを雇い続けることに対して「社会福祉だから」と言っていたのは印象的で深みを感じましたが、今後はそうも言ってられないでしょう。

明日は我が身という言葉を肝に、できない層をみて安心するのではなく、自分に与えられた役割をしっかりとこなしていこうと思います。

 

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